偽デジタル写真屋日報@はてな保管庫

はてダ終了に合わせてログ移行させました。ところどころリンク先が死んでるかもしれませんが仕様です。

デジカメのノイズ談義を見てて思ったこと

デジカメの画質についてやいのやいの言うときに「ノイズの量」ちうのがよく話題に上がりますけど、ノイズだけ見て画質がいいだの悪いだの言ってる様子を見ていると銀塩の頃のフィルムの粒子サイズ論争を思い出してしまうのは私だけでしょうか。
そりゃまあノイズは少ないに越したことはないですしフィルムの粒子だって細かいに越したことはありません。
でもね、他の要素を無視してノイズ量だけ語って画質がどうこうっていうのはちょーっと視界が狭いんでないかなぁ、と思うんですよ。フィルムだってそう。粒子はそんなに細かくなくても発色が豊かだったり素直な発色ながらトーンがきれいなフィルムだってあるじゃないですか。写真の画質評価っていろいろな要素が絡むのに、一部分だけ見て善し悪しを断定してしまっていいんですか?
まあノイズ量や粒状性ってのは画質評価の中でもぱっと見で分かりやすい判断要素なのは間違いないんですけど、写真素材の善し悪しを見る前にとりあえず粒子の細かさやノイズリダクションの出来云々みたいな話に行ってしまうのはちょーっと勿体ないと思います。

じゃあノイズリダクションという行為はいらないのかよ、と言われそうですが

んー、ソフトでどうこうする前にアナログ段の部分でできることがあるんでないかと思うんですよね。画像処理で問題を解決するというアプローチは最後の手段であって、そこに至る前にできることは済ませる方が正しい道でないんでしょうか。今でもハード屋さんは血を吐くような苦労をしてるでしょうけど。

書いていてなにかに似てると思ってたんですが

あれだ。料理を一口食べる前にいきなり醤油かけちゃったりマヨネーズかけちゃったりする行為。あれとノイズリダクション談義って似てません?まずはそのままで食べてみましょうよ。たとえ冷奴だっていい豆腐ならそのままのがおいしかったりしますよ。

話はそれますが

「デジタルにおいては画像処理の差の方が大きいからレンズの善し悪しなんて些細な差である」という画像処理信仰もどうだかなぁ、と思うんですよ。
確かに今の処理系だとレンズの色収差まで処理段できれいにできるらしいですが、だからといって「画像処理が良くなったから適当な出来のレンズを着けても問題ない。コストダウンできてウマー」って考えに行ったら相当貧しい。いくら画像処理技術が良くなっていったとしても、入力以上の出力っていうのは得られないですよやっぱり。