数撮ったもんがえらいイデオロギー
昔から写真は数撮ってなんぼと言われてきたものではありますが、デジタルになって感材の値段を気にしなくてよくなった途端にリミッター外れてインフレ起こしてるような気がするわけですよ、って話を以下の記事を読んでて思い出しまして。
まー確かに数を撮らないとセレクトもできねえし数をまとめることはできないのは事実。でもねー、週に8000撮ったから偉いかつーとそれはまた違う話じゃないのかなと思うわけですよね。たとえ1万枚撮ろうが3万枚撮ろうが、その後でセレクトもまとめることもできなかったらそれは無駄弾以外の何者でもないんじゃないですか?「撮りたいものがたくさんあるからたくさん撮った!」ってのと「撮りたいものがよく分からんからとにかく数撮ってみた!数だけはすげえいっぱいあるぜ!」ってのの間には深くて暗い溝があると思う日曜の昼下がり。
簡単にまとめ
- 1回の撮影で一定数まとまった数を撮るためには一定の体力と見る目が必要なのは確かです。
- でも写真を撮ることを意識せずシャッターを切ることだけを意識すれば数は撮れるというのも確かです。
- 大事なのはその後ひと通り撮ったものを見てセレクトできる眼力です。見て選ぶ方に体力を使えなければいいカットを撮っても水の泡。
余談
数撮るのがえらい的な発想って銀塩の頃からあったけれど、モータードライブが普及する前と後でやっぱり数のインフレがあったんじゃないかなぁと思ったり思わなかったり。